今月の兵庫県知事選挙の結果は、県外の私たちには理解できないものだった。SNSによって拡散された情報が<フィルターバブル>に入っている有権者に刺さってゆき、既存メディアの様相を覆した(*1)と思っていた。
しかし、その後の報道などを見ていると、もっと根深いものがあることに気づいた。「既存メディア対ネットメディア」と捉えていたのは、単なる側面でしかないようだ。
「斎藤元彦氏」再選…そのとき兵庫で何が起きていたのか 当初「40人ほどだった聴衆」が投票前日には「身動きが取れないほどの群衆」に(全文) | デイリー新潮
の記事は、既存メディアの「敗戦の弁」だが、示唆に富んでいる。
・既存メディアは、前知事のパワハラ、オネダリを取り上げていた
・しかし一部のインフルエンサーは、彼を既得権益集団にいじめられているとした
・相当数の有権者が、メディアも政治家も既存のものは既得権益集団と感じていた
・それゆえSNSで拡散された情報は、彼を「白馬の騎士」にした
・SNSで情報を拡散するプロ集団も関与していたらしい
と、私は考えるようになった。当選後の斎藤知事の報道を見ていると、議会や職員への対決姿勢は改まっていないようだ。口には出さないが、彼らを「既得権益集団」と見なして戦おうとしているのではないか。故安倍総理も有権者に対して二元論を展開し、「選挙で禊を受ければOK」のスタンスだった(*2)。今後の県政、特に知事と議会や県職員との関係が気になる。
現状に不満のある人たちにとって、既得権益集団と戦ってくれる人は頼りになるもの。何かにそんなレッテルを貼り、向こうかこちらかの二元論で対決する。その演出はSNSやそれを扱うプロ集団が担う・・・日本にもそんな選挙が登場したようである。