梶浦敏範【公式】ブログ

デジタル社会の健全な発展を目指す研究者です。AI、DX、データ活用、セキュリティなどの国際事情、今後の見通しや懸念をお伝えします。あくまで個人の見解であり、所属する団体等の意見ではないことをお断りしておきます。

<日立ブランド>を支えた人たち

 今日は休日でもあるので、少しプライベートな話題。先日ニューオータニの大広間で、日立製作所のOB会「日立社友会」の第75回総会があった。大勢の参加で込み合うと考えて30分ほど前に着くようにしたのだが、JR四ツ谷駅からの道がすでに混雑している。受付だけで5分はかかり「芙蓉の間」を埋め尽くす椅子の一つに座った。おそらく参加者は1,000名を越えているだろう。

 

    

 

 司会役の高橋元副社長によれば、OB会である「社友会」の総員は約7,500名。今年白寿(99歳)を迎えた人が11名おられて、米寿(88歳)・喜寿(77歳)も各々300名近く。私などは鼻たれ小僧である。演壇に近い席に、この人たちの席が設けられていて、白寿の方も1名列席されている。

 

    

 

 開会の前に社歌の演奏があり、私の隣に座った人は口ずさんでおられた。申し訳ないけれど、私は歌詞などすっかり忘れている。社友会の会長が、川村さんから東原さんに移るという決議事項があって、文句なく拍手で承認。新会長となった日立製作所会長でもある東原さんが壇上に。

 

 経団連評議員で財界の重鎮である東原会長だが、これほどの先輩たちを前にするとさすがに緊張気味。

 

        

 

 ましてや4月に就任したばかりの徳永社長は、慣れている日立Grの業績やビジョン等の説明も大変だったろう。総会終了後、混雑を避けるためすこしずつ宴会場に移動。宴会場では、多くの懐かしい人たちに逢えた。多くの現役役員が短い挨拶をしたのだが、当然外国人も加わっている。ほとんど男性、多くの人がスーツを着て、お酒が回ってくると肩を組んで騒いでいる。典型的な日本企業の(過去の)姿を、外国人役員はどう見たのだろうか?

 

 M&Aを繰り返しすっかりグローバル企業に変身した日立Grだが、その歴史を支えたのは「国産の誇りも高く*1」、日本人の・日本人による・日本のための製造業を貫いた人たちである。ほぼ45年前に入社した、この伝統ある企業の(特に直近10年の)変貌を垣間見た日だった。

 

*1:社歌の歌詞の一部、かろうじて覚えていた