日本の8月は鎮魂の月でもある。1945年の夏、ソ連の侵攻や終戦、そして何より2つの核兵器が日本列島に降って来た。私の親父は長崎の原爆投下を、約40km離れた大村空港(現在はヘリポート)で見た。それだけ離れていても、爆風はすさまじかったという。
広島市と長崎市で平和祈念式典が開かれ、首長らが追悼の辞に加えて、G7サミットの成果である「広島ビジョン」を批判した。曰く「核抑止論を堅持する内容で、被爆者らが願う核廃絶論と一線を画した」ものだというのだ。
私自身は核廃絶は理想であって、現実にはほぼ不可能と思っている。できるとすれば、
・核兵器以上に強力な何か(AI兵器?)が登場する
・核ミサイルをサイロ内で自爆させるサイバー攻撃が可能
な状況が生まれた時だろう。ただ、このところの核廃絶論の人達の言説は、核抑止論の人達を過剰に攻撃するものになっているのが気になる。
パネルディスカッションでご一緒したこともある広島県の湯崎知事は温厚な人だが、今回ばかりは「(核抑止論者は)責任とれるのか」と強い口調で糾弾した。
「あなたは責任を負えるのか」湯崎広島県知事、核抑止論者に強い調子で訴える/あいさつ全文 - 社会 : 日刊スポーツ (nikkansports.com)
私は「ちょっと待って欲しい。本当の敵を見失ってはいないか?」と思った。核兵器については、
・核廃絶論者は絶対悪
・核抑止論者は必要悪
と考えている。「悪」と考えていることに相違はないのだ。国際社会には「核兵器は有用なもの、少なくとも悪ではない」と考える第三の人達(&国)がいることを忘れてはいけない。本当の敵は彼らで、核廃絶論者も核抑止論者も協力して彼らに対峙するべきではなかろうか。
彼らが意図したかどうかは別にして、G7「広島ビジョン」を契機として核廃絶論者と核抑止論者が分断されてしまった。両者の立場はメディアが伝えるほど大きくない。もっと冷静に、真の敵を見て欲しいと考える。