新年の名物と言えば<箱根駅伝>。往復200kmもの距離を走り抜けるレースで、沿線の年賀事情や風景も楽しめるTV番組である。登場するランナーは、さぞ鍛えぬく毎日を送っているのだろうと、ぼんやりTVを見ながら思う。しかし脚光を浴びた選手たちでさえも、「Next Career」はどうなっているのか?こんな記事があった。
ひたすら走ることだけを要求され、自らも求めて20歳を過ぎる。どんなスポーツ選手でも、現役引退の日は必ずやって来る。指導者になる道は現役とはずっと狭いものになって、上記の記事のような人は少なくないと思われる。
大学入学から卒業、企業への就職に至るまで「無試験」で通してきて、数々の優遇(*1)を受けてきた人生が、引退と共に暗転するわけだ。この記事は「彼らを走る機械として育ててきた周りが悪い」とのトーンで締めくくっているが、はたしてそうだろうか?
確かに自分の「Next Career」や他の選択肢を考えさせる教育をしなかったという意味では、周りが悪い。しかし、本来それに気づくべきなのは本人だ。スポーツ奨学生ではなく、普通に大学を出て就職した者にとっても、いくらでも変革時期はやって来る。
定年に至る前でも、技術で食えた時期、ビジネスを覚えなくてはいけなくなった時期、後輩の指導や社内の調整、果ては社外の活動まで手を広げるようになった時期が、サラリーマン人生にもある。10~30年先を見て、自分はどう生きるかを考えるのは、誰でもすべきことではなかろうか。
昨年世間を騒がせた、日大のアメフト部廃部。これも奨学生待遇をそのままにするとの大甘な結論が出たという。例えその選手に直接的な罪は無くても、廃部となったらどうするか考えていなかったとしたら問題だ。若いから許されるというものではないと、私(高齢者)などは思う。
*1:「箱根駅伝マネーゲーム」のエグい格差 学生ランナーが月30万円不労所得を得ているという現実|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト (newsweekjapan.jp)