中央管理者のいないシステムは、一般的に効率的になる。コンピュータの学界としては自律分散学会が追及しているもので、メインフレームを中心としたCentralized Systemから、個々の端末機が能力を高めてネットワーク化したDecentralized Systemとしようというものだった。初代学会長には、私の恩師の伊藤正美教授(名古屋大学)が就いた。
システムアーキテクチャとして、クライアントサーバ型にその萌芽が見られるし、インターネットそのものがDNS(*1)などを除けば、管理者がいないシステムだった。例えば、Wikipedeiaは皆で書き込む百科事典で、社会システムとしてDecentralizedを実現したものと言える。徐々に広まっていたこのシステムだが、21世紀になって大きな技術革命が起きる。それがブロックチェーン。
基本的には電子署名技術の応用だが、それまでのDecentralized Systemの信頼性を飛躍的に高めた。今日の日経紙にも、医療分野や農業分野でのブロックチェーン活用事例が紹介されている。前者では医薬品の流通コストを下げ、後者では産品の産地偽装防止が容易になるという。いずれも、
・履歴等の改ざんが難しい
・透明性が高い
・エラーに強い
ことから実用化されつつある。ただ中央の管理者がいないというのは、何かあった時にだれも責任をとらないと思われる。「皆で支える」というのは美しい言葉だが、最後のよりどころ(ラストマン)がいなくていいのかについては議論の余地があろう。
現状の社会システムについては、国がラストマン。大震災や原発事故、あるいは大規模な公害問題まで「国が全面的に・・・」と対処を求めていることからもわかる。しかし国境のないサイバー空間では、国がラストマンたり得るのだろうか?
もちろん、Decentralized Systemの信頼性を高める動きはある。MasterCardが、
・NFT(*2)含む決裁ソリューションの検証強化
・国境を越えたトラベルルール遵守のサポート
などに乗り出している。ひょっとすると関連保険商品も出てくるかもしれない。国がラストマンでも、絶対の安全や保障はない。Decentralized Systemがどこまで浸透するか、その安全性をどう高めるかは恐らく産業界の仕事になるだろう。
*1:Domain Name System
*2:Non-Fungible Token