梶浦敏範【公式】ブログ

デジタル社会の健全な発展を目指す研究者です。AI、DX、データ活用、セキュリティなどの国際事情、今後の見通しや懸念をお伝えします。あくまで個人の見解であり、所属する団体等の意見ではないことをお断りしておきます。

新たな格差「AIデバイド」

 今月に入って、TVのニュース・論説番組が盛んに「生成AI」についての特集を組んでいる。ChatGPTの第四世代バージョンは、かなりのレベルの論説をほんの数秒で出力してくれる。他にも文章の要約や、別の視点からの論評、多国語への翻訳、プログラミングまで、汎用性の高いAIツールに仕上がっている。

 

 一部の人からは「いよいよシンギュラリティがやってきた」との深刻な警告が発せられている。思考するという人間の能力をAIは超えてきたという主張だが、現在のAIはまだ考えてはいない。多くのデータから、最もありそうな答えを選んで示してくれるだけだ。その意味で人間を越えるものではない。

 

        

 

 AIがあるからと、人間が思考しなくていいわけではない。AIはあくまでツール、どう使うかは人間次第である。自転車ならヒトが走るより早く移動できる、それと同じことだと考えるべきだ。ある特定の条件で物事を整理するのはAIの方が早いだろうが、条件を上手く設定できるかは使う側の人にかかっているからだ。

 

 生成AIを含めてこの技術は、内燃機関やコンピュータなどと同様、社会的に大きなインパクトを与え、ある種の革命を起こすが、人間が機械に使われるようになるというのは、徒に脅威を煽る言説である。ただ、社会的に憂慮しなくてはいけないことはある。それは、AIを使える者、より上手く使える者と、使えない者の間に新たな格差が生じることだ。いわば「AIデバイド」。

 

 今でも「デジタルデバイド」は一種の社会問題。「AIデバイド」のインパクトはその比ではない影響を社会全体に与えるだろう。いくつかの国や地域では生成AI禁止の動きもあるが、それは本質的な解決策ではない。デジタルデバイドとは、コンピュータが理解できるコミュニケーション手段が苦手という意味。しかしAIは自然言語で操れるようになるわけで、デジタルデバイドの人が一足飛びにAIを使いこなすこともできるはず。

 

 私も含めて「ただ怖れるのではなく、少しずつでも使って慣れること」が重要だと考える。