何人かの国会議員と意見交換をしたことがあるが、経歴を見ると世襲だったり、元官僚だったりする人が少なくない。いずれでもなく「この人は」と思わせる有力議員もいるが、数は決して多くない。その代表格は、自民党の茂木元外務大臣だと思う。
官僚をしていると、政治家に物足りないものを感じて「やってみよう」という気になるのは普通のことだ。しかし、官僚として「政治家はこうあるべき」と思うことと、政治家として「そうできるか」には大きなGAPがある。
昨年もあるキャリア官僚が、懇親会の場で政治家への転身を匂わせる発言をしたので、柄にもなく、
「お勧めしない」
と言ってしまった。この人物が有能なだけでなく、あまりにも好人物だったので、柄にもなく父親のような気分になって「汚れた世界に関わらせたくない」と思ったからだ。

その人物は私の無礼な言葉も気にせず、その後も良好な関係を保っていてくれる。そんな話を思い出したのは、政治家とは何かを考えさせる記事に逢ったから。
再生の道に聞く…なぜ都議会へ?「ハイクラス人材」に弱者支援はできる?小池都政どう評価? 東京都議選挙:東京新聞デジタル
「石丸現象」を起こしたこの人物が、都議会議員選挙に40人以上の<ハイクラス人材>を立候補させた。彼らが政治家に向くのかどうか、という記事だ。選挙結果は「再生の道の獲得議席ゼロ」となったが、彼は次の参議院議員選挙にも挑戦する気でいる。
ちなみに地方の自民党支持者が理想とする総裁は、今でも田中角栄氏である(*1)。交通不便な地域の60戸のため、12億円を投じてトンネルを掘った(*2)という「情の政治家」だ。やはり普通の市民からは、理の政治家ではなく情の政治家が求める意見が多い。上記の記事では「ハイクラス人材が情を持てるか」を問うているのだろう。
特に今の衆議院議員のように小選挙区制だと、「地元の情」を理解しないと当選が危ぶまれる。石丸氏の考えにも一理はあるが、「ハイクラスのハイクラスによる、ハイクラスのための政治」に堕してはいけないと思う。政治家は「情:理=7:3」くらいの立ち位置でいて、政治的選択肢を示してくれる官僚や有識者、民間シンクタンク等に「理」の多くを頼るのが穏当なのかもしれない。